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せまい部屋とひろい街【風呂なし四畳半暮らし】

京急梅屋敷駅から徒歩8分。路地を入った先にそのアパートはある。
南向き2階角部屋、家賃29000円の風呂なし四畳半。そこが僕の部屋だ。

木造のその建物は傍から見たらボロ屋だが、中に入ってみると意外と作りがしっかりしていることに驚く。この家の大家さん曰く、昔は腕のいい大工が街にも多かったらしい。トイレは共同だが、大家さんが二日に一度掃除してくれるので案外いつも清潔だ。

この「風呂なし四畳半」と出会ったのは昨年の9月。当時転職したばかりの僕は、都内で手頃に住めそうな物件を探していた。

その頃住んでいた神奈川の実家もそれなりに快適ではあったが、東京まで片道2時間という距離にはさすがに辟易としていたし、何よりその主体性のない快適さに飽きがきていた。

そんなある日、とある不動産サイトを眺めていると一つの物件が目に留まった。

「木造2階建て、四畳半。トイレ共同・風呂なし・家賃29000円。※銭湯から徒歩十分」

最初は、この令和の時代にまだ「風呂なし四畳半」なる物件があるのかと驚いた。しかし、その生活をイメージしてみると、案外悪くないように思えた。なにより「家賃29000円」というその悪魔的な安さは、他のネガティブな部分をすべて打ち消すレベルの魅力があった。僕はすぐに内見を申し込むことにした。

内見当日、愛想の良さそうな大家さんに案内された四畳半は、予想通りこじんまりとはしていたが、そこまで狭い感じはしなかった。部屋には畳が敷かれ、入口の向かいには小さな台所がついている。天井には木の梁が巡り、大きな窓から差し込む光が気持ちが良い。おまけに一人分としては十分なほどの押入れも付いている。その朴訥した佇まいにすっかり魅せられた僕は、即日で入居を決めた。

こうして僕の風呂なし四畳半生活は始まった。

◆◆◆

風呂なし四畳半に住み始めて数日が経った。実家から唯一持ってきたベットとスタンドライトだけが部屋の片隅に置かれたその空間は、自分の部屋というより、もはや「異国のゲストハウス」にいる感覚だった。

家にいてもやることがないので、Google mapを頼りに街を散策する。気になるお店を見つけてはピンを指すことを繰り返すうちに、少しづつ街の全体像が見えてくる。

大田区の中心街「蒲田」の隣に位置するその街は、駅に普通列車しか停車しないような少し地味なエリアだ。ただ、最近は再開発の影響もあって、にわかに脚光を浴び始めているらしい。

駅から伸びた商店街はいつも賑やかで、八百屋や精肉店の他にも、喫茶店や蕎麦屋といった個人商店が軒を連ねている。また、家からの徒歩圏内には、スーパー、コンビニ、図書館、銀行、郵便局、病院、銭湯が揃っていて、生活する上では何一つ不足がないように感じた。

街を歩けば大抵のものが揃うということは、神奈川の片田舎で育った自分にとって衝撃だった。部屋は狭くても、街は広い。部屋にスペースがないのであれば、気に入ったお店を自分の部屋と見立てればいい。

この「部屋を街に延長する」という考え方は、初めての都会生活をおくる僕にとって、画期的なアイディアのように思えた。

全てが満ちているわけではないが、足りないわけでもない。街と共存しながら工夫し、楽しく暮らしていく。そんなラディカルでエレガントな生活の可能性を、この風呂なし四畳半に感じたのだった。

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<文・絵>日向コイケ

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